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聖武天皇(しょうむてんのう)

時代背景

聖武天皇は流行病や地震や反乱などが立て続けに起こって国が乱れていた頃に生まれました。
不安定な世の中を目の当たりにした聖武天皇は仏教の力で国を治めようと考えます。

長屋王の変

729年
当時権力を持っていた長屋王が邪魔だった藤原氏は聖武天皇に「謀反起こしそうです!」と密告しました。
聖武天皇はただちに兵を派遣し、長屋王は自害しました。邪魔者の長屋王がいなくなったことで藤原四子の権力が強まりました。
※藤原四子とは藤原不比等の子供の武智麻呂、房前、宇合、麻呂の四兄弟を指します。

藤原四子の病死

737年
海外からやってきた天然痘が国内で流行しました。
権力を持っていた藤原四子全員も天然痘に感染して亡くなりました。その後、藤原四子に変わって橘諸兄が政治を担いました。

藤原広嗣の乱

740年
藤原宇合の子の藤原広嗣が橘諸兄の政権への不満から九州の太宰府で反乱を起こしました。
聖武天皇はただちに兵を派遣して乱を鎮圧させました。しかし、度重なる社会不安のせいか聖武天皇は遷都をしまくりました。

国分寺建立の詔を発布

741年
聖武天皇は仏教の力で国を守るために全国に国分寺の設置を命じました。
全国の国ごとに男性の僧が務める国分寺と女性の僧が務める国分尼寺を1つずつ設置させて国を安定させようとしました。

大仏造立の詔を発布

743年
聖武天皇は仏教の力で国を守るために大仏を作るように命じました。
当時高い人望を持っていた行基を中心に大仏造りは進められ、752年の大仏開眼供養によって完成しました。
※大仏開眼供養は大仏に目を書き入れて魂を入れるイベント。この大仏が今も奈良の東大寺に残る大仏です。

墾田永年私財法の発布

743年
聖武天皇は農民たちのやる気をアップさせるために「新しく開墾した土地は永久にお前たちのもの!」という法令を出しました。
開墾にはかなりのお金が必要だったので、貴族や寺社などのお金持ちがどんどん土地を増やしていきました。

聖武天皇の死後

756年
聖武天皇が亡くなりました。
聖武天皇によって今まで以上に日本に仏教が広まって浸透していきました。

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