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蘇我馬子(そがの うまこ)

時代背景

蘇我馬子は仏教が日本にやってきて間もない頃に蘇我稲目の子として生まれました。
仏教賛成派だった蘇我稲目は仏教反対派の物部氏と争っていましたが決着つかず、息子たちに引き継がれていきます。

物部氏を倒す

587年
蘇我馬子はライバルの物部守屋と仏教を受け入れるかどうかで争いました。
仏教賛成派の蘇我馬子が仏教反対派の物部守屋を倒したことで蘇我氏がトップに立ちました。

推古天皇の擁立(ようりつ)

593年
蘇我馬子が仲が悪くなった崇峻天皇(すしゅんてんのう)を暗殺して新しく推古天皇(すいこてんのう)を即位させました。
推古天皇のもとで聖徳太子とともに冠位十二階や十七条の憲法を制定したり、遣隋使を派遣するなど国内の改革を進めていきました。

飛鳥寺の建立

596年
蘇我馬子は日本で最初の本格的な仏教寺院である飛鳥寺を建立しました。
飛鳥寺を中心に国際交流が頻繁に行われ、飛鳥文化が花開きました。

その後

626年
天皇を凌ぐほどの権力を手にして蘇我氏の全盛期を築いた蘇我馬子もついに亡くなります。
蘇我氏の絶大な権力は子の蝦夷、そして孫の入鹿に引き継がれていきました。

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